Googleの検索窓に一つワードを打ち込むたびにGoogleのAI(人工知能)は

賢くなっていく。

人類の「知りたい対象と事物とのマッチングの精度」

についてスマートになっていくのだ。

これは人間にはできないし、もう、追いつけない。

Facebookにあなたが投稿し、チェックインし、友達をタグ付けするたびに

FacebookのAIは賢くなっていく。

「Showing-off(見せびらかし、どやリング)のネタとして、

こんなものがある」

あるいは、

「インタレスト(興味・関心)にはこんなものたちがある」

についてスマートになっていく。

FacebookやGoogleの顔認証の精度は怖いくらいである。

インスタグラムに投稿するほど、

インスタグラムのAIは賢くなっていく。

「人類がクールだと思う景色や場所など」

についてスマートになっていく。

AIは、どこかに大きな箱または人型ロボットの姿形を

しているわけではない。

無数の電子ノードが結び合い、つながりあって、

すでにぼくたちの日常にしっかり浸透してきている。

たとえばiPhoneのメールで「編集」→「すべてを既読にする」

といったちょっとした操作も、ある種の人工知能の働きだし、

Facebook右カラムの広告はあなたがGoogleまたはアマゾンで

検索した製品(たとえばプリンタなど)が掲載されているが、

それもAIの仕事である。

医師の診断については、もう、AIのほうが信頼できるかもしれない。

ぼくを含め、知人の中には医師の誤診による「要らぬ時間」を治療に

とってしまった体験をした人が多い。

治療計画や外科手術すら、もはやロボットのほうが間違いが

ない気がする。

こうなると、

医師、弁護士(膨大な判例と法律のマッチング、法律の改正にも

オンタイムで対応できる)、税理士、会計士、社労士、通訳

などなど、知的労働も、AIが置換可能だ。

AIの顔認証能力を見れば、

「印鑑」

の意味が消える。

印鑑はほかにも

「その会社の信頼の担保」

の役割を負っていたが、担保能力に限って言えばものの数秒あれば

AIがはじきだしてくれる。

すでに生命保険の計算はAIでできる。

印鑑は「はんこ」として、ファンシーさなど、「楽しさ」の機能が拡張されていく

のかもしれない。

肉体労働も、ロボットが置換を始めている。

アマゾンの倉庫では、優秀なロボットが活躍している。

http://www.rethinkrobotics.com/jp/baxter/

は旧来の産業用ロボットにかかるコストを1/20にした。

長距離トラックのドライバーの仕事はロボットに置換される。

やがてネットショップの店長が実はロボットだった、ということも

当たり前になっていく。

コンビニの深夜ゾーンの仕事もロボットに置換される。

愛想の悪くてあたまも悪そうな大学生バイトに接客される

より(領収証の書き方さえ知らないアホがいる)、

きちんとしたロボットのほうがよほどいい。

生産現場のロボット化は、

「市場の最も近くに工場を」

という、人間なら当たり前に感じる感情

を再び可能にする。

どこなのか聞いたこともない国やエリアで

生産したために、顧客が支払う代金の大半が輸送費という

現状のほうがおかしいのだ。

AIは現在ある仕事のほとんどを置換する。

経営の、特に財務的な仕事、たとえば投資案件や

資産運用などはAIのほうが間違いない。

社長には「夢やロマン」という、

レンズを曇らせる感情の要素が入り込むからだ。

だからMG(マネジメントゲーム)、人間は趣味または

本当のゲームとして楽しむようになる。

経営者の仕事は、ますますアートに、美学に、

マシンには理解できない感情的、五感に訴えかける

分野のみに集中せざるを得なくなる。

経営者の優秀さはゼニカネ勘定より、感性の豊かさで決まる。

また、「わからないこと」「不思議なこと」「理解不能なこと」

への好奇心こそが、これからの経営者に最も重要な資質となる。

経営は、アートになる。

ますます楽しみな、いい世の中になってきている!

13775839_1055448341170889_5685217306026731291_n                *新潟のエディターズカフェ。アートです! 撮影・丸山潤