昨日、客満堂でサンノゼからのお客さんと懇談していて、

ふと出てきた言葉が

「人に説明出来ない曖昧な時間をどれだけ持てているかが、

その人の真の豊かさを示すよね。説明できる時間ばかり

ではつまらない」

それを早速TwitterでツイートしたらRTやレスしてくださる

方が多く、若干説明が必要なので、ブログであらためて

説明します。

ぼくは海が好きで、海のそばに住む空気感も好きなので葉山に住んで

いるんだけど、ここのところの忙しさで、葉山を味わう時間が全く取れない。

「そうですか、忙しいんですね。どういうスケジュールなんですか?」

「倉敷行って、コンサルティングして、原稿書いて、南青山

のZOE行って、打ち合わせして・・・」

ここ。ここなんです。ほら、すべて、人に説明できる時間ばかりでしょ?

ところが、葉山にいて、海見て、砂浜歩いて、空気吸って、風を感じて、

ぼやーーーーーーーーーーーーーーーっと波頭を感じている

というのは、人に説明はできても共感はしてもらいづらい

「ふーん、そうですか」

で終わる。

これは別に他の何でもいいんだけど。

ただ何となくベッドの中でぼんやりしたまま横になっている、とか。

その気持ちよさ、充実感は、他人に理解してもらえるように説明することは

できない。そして、そのような「説明しづらい曖昧な時間」がどれくらいあるか。

それこそが、真の豊かな時間、豊かな生活、豊かな人生といえるんじゃないかな。

ということです。伝わった?

bikankou

写真は倉敷美観地区紅葉。美しいね。