「再定義に気づかなかったコダック」(→)

で、

「本を読む

という行動の再定義が既になされてしまった」

と書いた。

多くの人から

「それって、どういうことですか?」

と質問を受けたので、書きますね。

たまたま今日執筆したブランドメルマガ(→)

内の文章がわかりやすいので、

以下に転載します。

[[[[[ iPadもあなたを「見て」いる ]]]]]

たとえば、iPadはただのタブレットではない。

その秘めている可能性は、

双方向一つとっても気が遠くなるほどだ。

どこへでも携帯可能な「窓」としてとらえよう。

すると、ユーザーはiPad画面を見ているが、

iPadもまたユーザーを見ることが可能だ。

これはどういうことかというと、

本が革命的に変わる。

紙の本の場合、本を「見る」のは読者で、著者は

書いてしまえばそれから先はノータッチだった。

しかし、これからは著者も読者を

「見る」ことができるようになる

かもしれない。

対話すら、可能だ。

「この先、犯人はどこへ逃げればいいと思う?」

「やはりここは警察の裏をかいて、

そのまま丸ノ内線に乗ってしまうのが

面白いかもしれません」

「なるほど、いいね!」

と、犯人が丸の内線に乗るストーリーが

生まれたりする(笑)。

つまり、読者一人ひとり全部違う

ストーリーになる本も可能になるのだ。

これは人類がまだ体験したことの

ない、「本」というものの再定義

であり、ビジネスの役割、大きな

役割の一つが、「再定義」なので

ある。

つまり、双方向性が

新しい「読書」スタイルと同時に、

新しい「創作」スタイルも

生み出すのだ。

iPadに限らず、

iPhoneもまた、

ぼくたちユーザーを

「見ている」よね?

どこにいて、

何をしているのか。

これはすごく楽しみだよ。

かつて筒井康隆が

『朝のガスパール』(→)という新聞連載小説で

ネット会議室のメンバーとのやりとりを

もとにストーリー創作した。

1992年のことで、かなり先駆的な

試みだった。

おそらく、いまならもっと簡単に

この手の試みはできるはずだ。

著者として、いまの新しい

環境を利用しない手はない。

ぼくが考える

本の再定義とは

こういうことです。

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