ドラッカーは意思決定には意見の相違(異議)が必要である、といいます。

理由は三つあってその第一に

It is, first, the only safeguard against the decision-maker’s becoming

the prisoner of the organization.

The Effective Executive, p.149-150

つまり、「組織の囚人」となることを避ける。

1981年に大阪大学人間科学部人間科学科の卒業論文を提出しました。

そのタイトルは「共同幻想論」。

岸田秀氏の唯幻論に感化され、日本人がなぜ「思い込んだらみんな同じ一つの意見」

になってしまうのかという習性を分析したものです。

論文を書いていた1980年の時代の空気はマスコミ全盛で、ぼくは日本のマスコミが

あたかも「神」として日本人のpublic opinion(世論)を形成していく危険性に

ついて書いたのです。

つまり、日本人は簡単に「the prisoner of the organization」になり得る。

「原発がなかったら家も買えなかったし、仕事もなかった。ここにいる人たち

みんなそうだよ」

福島第一原発で空調の仕事をしている人の奥さんのセリフ。

彼ら自身も避難所で暮らしていて、テレビマイクに向かって話していました。

この論点こそが、まさに「議論の余地無しの危険性」ではないか、と

ぼくは思いました。

ドラッカーは、意思決定に「異議」が必要な理由の第二に、

Second, disagreement alone can provide alternatives to a decision.

And a decision without an alternative is a desperate gambler’s throw,

no matter how carefully thought through it might be.

The Effective Executive, p.150

異議こそが意思決定に代案となる選択肢を提供できる。選択肢のない

意思決定は、たとえどんなによく考えられたものとしてもギャンブルだ。

 

ぼくたち日本人は、長い間「原発というギャンブル」にのってしまった感が否めません。

低コスト、環境にやさしい、これからは原子力の平和利用の時代、経済発展のためには

原子力は不可欠

これらの言葉はみな、「議論の余地無しのギャンブル」を正当化する仕掛けだったわけです。

いまやもう、原発に反対とか賛成とかいう単純な議論をしている時ではありません。

選択の問題であり、選択のために必要なprincipleを考える。

そのためにはエネルギー、ひいては経済と生活をどうしていきたいのか、という

理念や哲学、人生観、世界観の思索と議論をするべき時だと考えています。