1. 母は少年の顔を見ようとしなかった

中学の卒業式を目前に控えた3月2日。

少年は兄に、

「9日に行くことにしたけんの」

と言われる。

「どこに?」

「大阪よ」

「誰が?」

「お前よ」

「何をしに?」

「丁稚よ」

少年は、せめて卒業式までおいて欲しいと必死に頼んだが、

聞き入れられなかった。

父は早くに亡くなっていて、母、兄、姉、少年の家庭だった。

明日出発という前夜、布製のボストンバッグに肌着とか洗面道具とか、

当面大阪で必要な物を無言で詰め込みながら、母は少年の顔をぜったい

見ようとしなかった。

母は、洗濯用の大きな固形石鹸を、何回も何回も、入れたり出したりしていた。

テレビドラマ『重版出来』

を楽しみに観ている。

前回、人徳ある社長(これがミスキャストだと思う。どう考えても

高田純次じゃないだろう)の生い立ちが描かれた。

貧しく生まれ、里を出て旋盤工として働いている同僚に

岩手出身がいて、彼の読んでいた本が

宮沢賢治詩集。

中にある「アメニモマケズ」に励まされ、以来

読書が友達になった。

この話を聞きながら思い浮かべたのは

タビオ創業者越智直正さんだ。

靴下屋 

で有名。

冒頭の丁稚にやられた少年は、越智さんのことだ。

15歳。愛媛から大阪へ向かう夜行汽車の中で不安に

胸がつまりそうだった。

高松で宇高連絡船に(瀬戸大橋ができるのはそれからまだ先の話だ)

客車がガタガタと押し込まれるとき、怖さがピークに達した。

不安をまぎらすため、ボストンバッグの中から姉にもらった

漱石『明暗』を取り出した。パラパラめくると、表紙の裏に

漢詩が鉛筆で書いてあった。

男児立志出郷関 男児 志を立て郷関(きょうかん)を出ず

学若無成不復還 学もし成るなくんば復(また)還らず

埋骨何期墳墓地 骨を埋づむる何ぞ期せん 墳墓(ふんぼ)の地

人間到処有青山 人間(じんかん)到るところ青山(せいざん)あり

【解釈】

男児が志をたてて郷里を出たからには

志を成就しない限り郷里には帰るつもりはない

私の骨を埋めるのは、郷里の墓とは限らない

人の世にはどこへ行っても骨を埋める墓所があるではないか

以来、越智さんの人生には漢詩があった。

中学卒業時に、先生から

「難しいだろうが、中国古典を読め」

とのアドバイスをもらっていた。

丁稚仕事は休みは月に一回。朝から晩まで働きづくめの毎日だったが、

ある日、先輩が夜店に行くからと誘われ、乏しい給料の中から小遣いを

捻出して出かけたところ、古本屋があった。

先生の言葉を思い出し、店主に

「中国古典という本はありますか」

と聞くと、指差された先にあったのが『孫子』だった。

「まごこ?」

孫とか子供が読む本なのかと落胆したが、先生のいうことだからと買った。

中学卒業だけの学力で『孫子』は難解だった。

だが、一念巌(いわお)も通す。

会社にあった辞書をひきひき読み続けた。先生のいうことだから間違いないはずだ。

3年後、『孫子』全文を暗唱できるほどになった。

以来、越智さんは東洋古典の世界に浸り、今日に至っている。

「縦横無尽に自由自在に力一杯生きるにはたくさんの本を読むことです。仕事の本、

人生の本を時間のあるかぎり読み、お一人様一回限りの人生を人間として道を誤らない

ように粛々と歩むには、人類の聖人、先哲について学ぶのが最短距離だと思うのです」

参考図書:

越智直正『男児志を立つ』致知出版社

藤尾秀昭『小さな人生論4』致知出版社

2. あり方なき繁栄がトランプを生んだ

読書は「あり方(being)」を磨くのに最適だ。

一国の基礎体力は、子どもの頃にどれだけ読書に親しんだか、で決まる。

江戸時代に日本を訪れた外国人たちが書き残したものを読むと(*)、

・子供はにこにこしてかわいらしく

・鍵をかけなくても、部屋に入って盗みをすることなく

・出会う人みんな幸せそうで

・部屋には私たち(西洋人)が生活を快適にするに必要だと思っているものが一切ない。

 家具さえない

と驚嘆と賛辞を送っている。

ハリスの日記から。

「彼らはよく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、

富者も貧者もない。 これが恐らく人民の本当の幸福の姿というものだろう。

私は時として、日本を開国して外国の影響を受けさせることが、果たしてこの

人々の普遍的な幸福を増進する所以であるかどうか、疑わしくなる。私は

質素と正直の黄金時代を、いずれの国におけるよりも多く日本において見出す。

生命と財産の安全、全般の人々の質素と満足とは、現在の日本の顕著な姿で

あるように思われる」(1857 安政4 年11月)

*逝きし世の面影、渡辺京二、平凡社ライブラリー

思えば、「グローバリズム」の名前のもとにぼくたちが手にしたのは

粗大ゴミなのかもしれない。

要らない家具、要らない家財道具、要らない服、要らない本。

ゴミ処理しづらいパソコン機器。

お金出して、断捨離やら片付け方法の本買ったり、セミナー受講したり

しなければならないようになった。

お金を出して買った家電を、お金出して処分してもらっている。

栄養が足りすぎてダイエットしたり、スポーツクラブ行ったりするようになった。

大統領選でトランプのような教養も何もない男が「善戦」していることを、アメリカ国民は

どんな目で見ているのだろう。

恥ずかしい

と思わない人も多いのだろう。

アメリカは、「あり方」を学ぶ教育があるのだろうか。

いや、アメリカのことなんて、言ってられない。

日本はどうだ。

人の立つ基礎としての土台。

そこを養う読書がなされているか。

昨日も書いたが、金儲けなんて、簡単なのだ。

大事なことは、お金とのつきあいかたについての哲学であり、

お金を使うことについての哲学だ。

メッセージやメールには返事をする。

自分が関係する宴会の出欠は秒速で返事する。

参加でも不参加でも構わない。幹事は返事がほしいのだ。

「興味あり」なんてものにボタンを押す人は、幹事の気持ちがわかってない。

つまり、商人として、客の気持ちを慮ることができない人なのであり、

大成はしない。

MAIDO-internationalで『大学』を基礎体力として勉強しているのはこれが理由だ。

あり方なき繁栄は、言ってみれば基礎工事のない建築のようなものだ。

陳腐な表現になるが、

砂上の楼閣

にすぎない。

本を、読もう。

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