昨日、南青山から表参道ルートで渋谷までウォーキングしていたら
The Bingo Brothersが途中にあったので立ち寄った。
ここはインディアンジュエリーの老舗。
ジャニーズの、あるアイドルがここのインディアンジュエリーアクセサリーを
しているので、昨夏など、行列ができたそうな。いまでもそのアクセサリー
目当てで若い人たちが押し寄せている。
その人気をあてこんで、まとめ買いし、ネットで販売する不届き者も
いるそうだ。数千円のものがネットでは1万円超える価格になっていて、
それでも表参道に来ることができない人は買っている。
店としては「それはないだろう」と憤懣やるかたない様子でした。
「電話で注文してくれれば地方発送するのに」とのことです。

さて;
連載コラム「あなたも講師になれる!」vol.3です。
今日も、「あり方の磨き方」。
明日からはエクササイズをいくつか、始めます。

今日は「了見」の話。

唐突だけど、うどんは、関西人のソウルフード。
関東に来て、なかなか「関西ノリのうどん」と出会えなくて
哀しい思いをしていた。「関西ノリ」というのは

・安くて(高くても500円以内)
・うまくて
そしてこれが一番大事なんだけど
・威張ってない。自分のことを「しょせん、うどんやから」と謙虚な了見でいること

関西、特に大阪は世界のファストフード発祥の地とちゃうかと思うくらい、
お手軽フードがたくさんある。
たこやき、お好み焼き、そしてうどん。
いずれも庶民の味方であり、威張ってない。威張っちゃいかん。
白いかっぽう着のノリのいいおばちゃんが作って、
小銭で食べられるのがルール。
「しょせん、うどんやから」の正しい了見が必須やねん・・・ってここだけ
関西弁。
だからうどん一杯1,000円超えるプライシングが平気な店なんか、
ぼくに言わせれば「了見が悪い」わけだ。

JR新橋駅改札前に昨年できたさぬきうどんの店はその点、
了見を100%理解している。四国は高松のうどんのノリが
そのまんまあるから、嬉しく、幸せになってくる。

年末のある日、渋谷で、某うどんチェーン店にランチで入った。
貼り紙がしてある。
「席をとってから並ばないでください」
基本となるうどんをオーダーし、その後、トッピングする天ぷらなどを
選び、最後にレジでお金を支払う。その列に並ぶ前に席取りをするな、
というわけである。ちゃうねん、これ。客の都合ではなく、店の都合。
了見が悪い。
他にも、具体的にいくつか挙げられるが、あまり書くと店が特定されるので
このへんにしておくね。要するに、基本的な了見がなってないのである。

この段階で、うどんの味が下がってしまった。
現実のうどんの味は、「価格の割には、おいしい」部類に入るんだろうが、
味は気持ちで決まる。関西人にとって、うどんが残念な味だと、テンション下がり
まくる。

横浜ワールドポーターズ1階フードコートにもうどん屋がある。
ここもベースのうどんを決めたあと、自分でトッピングを選び、
代金を支払うお手軽システムだ。
味も、ひょっとすると、上記の渋谷の店と同じくらいかもしれない。
しかし、ここはとってもおいしく食べられた。
店と、働いているスタッフに「うどんやから」という了見があるからだ。

ここまで書いてきて、なかなか伝わりにくいニュアンスの話をしているなあ、
と思い始めた。

了見、というのは何か。
「客は自分に何を求めているか」を知っていること。
「自分の分」をわきまえていること。
その上で、「自分は何を目標にしなければならないか」を深く理解し、
目標に向けて努力している姿勢のあること。
これが「了見ある人」だ。

談志家元の弟子(前座)たちが二つ目昇進試験を受けている。
試験科目は「落語」「踊り」「歌」。

家元「じゃあまず、踊ってみろ。落語なんざあ、バカだってできる」
「はい!踊ります!」
前座が何か踊りだした。1分も経たないうちに家元
「わかった。じゃ、かっぽれ踊れ」
「・・・すみません。踊れるのはこれだけでございます。かっぽれはまだ途中で・・・」
家元怒って「一つしか踊れないのか。受かるためだけの(修行)か。それでオレを
ごまかせると考えた、それが許せん!」
ここで家元がいう「それ」こそが「了見」だ。

その家元の言葉。

<芸>はうまい/まずい、面白い/面白くない、などではなくて、その演者
の人間性、パーソナリティ、存在をいかに出すかなんだと気づいた。
少なくとも、それが現代における芸、だと思ったんです。いや、現代と言わず
とも、パーソナリティに作品は負けるんです。
(中略)
演者の人間性を、非常識な、不明確な、ワケのわからない部分まで含めて、
丸ごとさらけ出すことこそが現代の芸かもしれませんナ。
(立川談志 人生、成り行き、新潮社、p.145-146)

ちなみに家元は弟子(談春)にこうも言っている。

落語を語るのに必要なのはリズムとメロディだ。それが基本だ。
(立川談春 赤めだか 扶桑社 p.64)

立川流がよくわかる二冊です

立川流がよくわかる二冊です

あり方、了見については、文字にするのが難しい。論理にも成り難い。
ただ、とても重要で、基本中の基本だから、きっとこの後も出てくるだろう。
そのとき、わかりやすい事例に出会うかもしれない。
とりあえず、あり方と了見については、このあたりでひとまず置いて、
明日からはエクササイズについてしばらく書くことにします。