ジブリが解体するという。

ジブリとディズニーの違いは何だろう?

ジブリは結局のところ、宮崎さんと高畑さんの作品を世に出す

ための組織だったのだろうか。

やがてあと10年もすれば、ジブリは作品群とともに

「思い出のブランド」として、人々の記憶の中にだけ

存在するイメージになってしまうのだろう。

対してディズニーは、ウォルト亡き後も、存在しつづけている。

ミッキーやドナルドの登場しない作品も立派にディズニーしている。

ピクサー(も、いまやディズニーグループだが)は、個々の作品が

ピクサーであり、作家の名前はよほど詳しい人ではない限り、

表に出てこないし、人は知らない。ピクサー作品を楽しむのに、

「これはブラッド・バードの新作だ」とか

「ジョン・ラセターが新しい世界に挑戦したものだ」とか

考えたりしない。

この違いは何か。

世界観のある・なしか。

ジブリ作品には、たしかに世界観がある。個々に。

では、スタジオジブリというブランドに世界観があるかどうかというと、わからない。

うん。わからない、というのが正直なところ。

EXILEのHIROは、「器としてのEXILE」という表現をしている。

それは、メンバーがたとえ入れ替わっても、ずっと存在し続けるブランドとしての

EXILEを指して言っているのだろう。

EXILEがEXILEとして存在する理由は、世界観があるからか?

ぼくは正直、EXILEに詳しくないので、EXILEの世界観が何なのか、

そもそも世界観が存在するのかどうかもわからない。

わからないが、きっと、ある気がする。

コンビニのスナック菓子の棚で、「タニタ食堂の」と冠のついた

パッケージを見ると「健康に配慮したんだろうな」と自動的に

思う。つまり、タニタ食堂というコーポレートブランドの世界観が

「健康に配慮する」と明確にぼくのマインドへ刺さっているのだ。

数あるチョコレートの中でも、ついMeijiのものを選んでしまうのは、

「チョコレートはめいじ♪」というジングルに、幼い頃から親しんで

いたからだろう。つまり、Meijiの世界観を形成する一つに

おいしいチョコレート

があるのだ。

シルク・ド・ソレイユは、メンバーが変わろうが、日本で見ようが、

シルクはシルクだ。

アート・サーカスという世界観がぶれないのを知っているから。

やはり、ブランドにとって最も重要な要素は世界観なのだ。

ジブリの解体、ぼくはめっちゃ残念に思っています。

大ファンですから。