最近よく耳にして、気になるのが
 
「このままでは空中戦になってしまう」
 
という危惧表現です。
 
空中戦は悪い、地上戦は良い、みたいな対比ですね。
 
地に足をつけた議論は良いけど、
 
ふわふわした理想論は無意味、みたいな。
 
ほんまか?
 
「もっと現実を見ようよ」というと、
 
いかにも賢そうで、全体を俯瞰したエラい人みたいになるけど、
 
それ、ほんまか?
 
「現実」というのは多面的であり、
 
「鼻がなごうございます」
 
「耳がおおきうございます」
 
「しっぽがなごうございます」
 
「足がふとうございます」
 
「目が身体の割にちいそうございます」
 
「うんちがでっかいです」
 
どれも象さんのどこを表現するかであり、
 
象さんは変わらない。
 
 つまるところ選択に過ぎない。
 
もっとほかに大事なニュースがあるのに
 
多目的トイレについて正義感を振り回して報道するのも選択の結果である。
 
 いまオレたちが立っているこの場所は、すべての選択の結果であって、
 
そこに理想論とか現実論とか入る余地はない。
 
「もっと現実見なよ。好きなことだけで食べていけるわけないじゃん」
 
というのは「君の才能がお金になるとは思えない」の裏返しである。
 
しかしそこで大事なのは
 
「自分の才能がどんなものかわからないからこそ、
 
やってみて、お金に変えるんだ!」
 
という選択。
 
「やる」か「やらない」かの選択であり、
 
「才能がある」「才能がない」というのは選択として成立し得ない以上、
 
意味がないのである。論理的でしょ?(笑)
 
何が言いたいかというと、
 
人生のあらゆることは選択できるし、
 
逆にいうと、選択しようのない要素、
 
たとえばさっき書いたような
 
「才能の有無」「センスの有無」「ルックスが良い・悪い」
 
「髪の毛が多い・少ない」「シワが多い・少ない」「背が高い・低い」
 
「金持ちの家に生まれた・貧乏な家に生まれた」
 
・・・は無視していいし、無視すべきなのである。
 
空中戦ですか?
 
*写真は象です。知らない人がいると困るので