『テルマエ・ロマエ』Ⅴ巻で、好きなシーンがある。

ルシウス(テルマエ設計技師)が幼い頃。

忙しい父の代わりに育ててくれた祖父が

「ルシウスよ

素晴らしい建造物とは

どんなものだと思うかね?」

答えは

「人間の力だけでなく『時間』が仕上げてくれた建造物のことだ」

 

太陽の塔に行った。

内部見学の予約は取れたものの、ずっと先、12月なので、今回は外からだけ。

太陽の塔へ最後に行ったのはいつだっけ? 覚えてない。

モノレール「万博記念公園」駅降りたら左に見える。道路を隔てて。

ちょっと距離ある。それも忘れてた。

駅前にどん、とある記憶があった。

入場チケット買って(250円)、ゲートくぐったら、目の前。

どーん。

言葉、失った。

こんなにでかかったの?

お祭り広場の屋根、ないし。むき出しやし。

近寄ったら、とんでもない。

この、呪術的な圧倒的存在感。

万博は1970(昭和45)年。

オレ、小学6年。学校の遠足か何かで行った。

太陽の塔の目玉に学生が座ってて。手振ったら返してくれた。

メインテーマは「人類の進歩と調和」。戦後の焼け野原から見事復興し、科学と未来は明るい。

そういうノーテンキな空気満載だ。

岡本太郎はこれにノーと突きつけた。

「ベラボーなものを作る」

「科学の力を媒体とし、進歩への期待を前提とした万国博は、すでに役割を終えたように思われる」

「むしろ、象徴的、風刺的に、人類の進みゆく道、運命を示唆するようなものをつくりたい」

縄文を思わせるような、トーテムポールのような、屹立する原初のパワー。呪術的エネルギー。

50年の時間の仕上げのおかげで、

太陽の塔は、いまこそ、オレたちが向き合うべきシンボルだと思う。

万博と同じころ、そう、1968年に公開された『2001年宇宙の旅』。

スーパーコンピュータHALが発狂する。

人類の未来をけっして明るく描いてない。

岡本太郎がぶっ立てたタワー、キューブリック&クラークが示唆した未来。

実現している。

科学は発達し、検索できないものはなくなり、結果どうなった?

街から書店が消え、八百屋が消え、豆腐屋が消えた。

既視感満載なコンビニ、スーパーマーケット、ドラッグストアが日本中どこに行ってもはびこってる。

これが明るい未来か?

オレたち商人は、だからこそ、アナログな、人でなければならない何かを生み出しつづけなければ。

オレが紙の本にこだわっているのは、

50年後、ロック本が誰かの手に渡った時が楽しみだからだ。

いまや出版業界では、本も消費財になってる。

瞬間に出て、瞬間に消える。

顔も見えない10万人に渡るより、よく知ってる1000人に手渡ししたい。

そして、1000の部屋で、読者とオレの本、時を重ねたい。

読者の孫の孫の孫が、いつの日かロック本を手にして、

冒頭のシーンにワクワクしてくれたら。

ページは擦り切れて、ボロボロかもしれない。

でも、彼が

「そういえば、Smileって曲、どんなだろう?」

と。

そしてSmileが流れる。

オレは幸せだ。