しばらく、お金について書いてみようと思う。

志摩観光ホテルが大好きだ。

理想は四季折々に行くことだけど、昨年は1月と4月の2回だった。

2回でも、それでも、とてもありがたい。

今年は昨年と全く同じ日、1月10日-11日に行けた。

清浄な氣を感じつつ英虞湾を眺めながら、ふと思った。

一泊二日でこうして来ることは何とか時間とかをやりくりして、可能だ。

では、これを二泊にしたら?

二泊するだけの費用や時間、捻出できなくはないけど、でも

二泊は「したくない」。

二泊したら、なんか、この気持ちが消える気がする。

「ありがたい」とか「気持ちいい」とかいう気持ちが。

つまり、必要な時間やお金は与えられている。

テレビで、X JAPANのYOSHIKIのLAにある豪邸を観た。

お城みたいに大きい。

玄関入ってすぐのところにピアノ。

もちろん、プールもある。ワインセラーにはドンペリとか、いっぱい。

そんな豪邸に1人で住み、食事は専任の料理人が作りに来てくれるらしい。

すごいなあ、と思いながら、でも、ぼくはいいや、と思った。

あんな広いところに1人って・・・。ぼくはいいや。

つまり、仮にYOSHIKIと同じ経済的条件に、簡単に言うとお金持ちになったとしても、

ぼくは1人であのお城に住む選択はしない。

あ。YOSHIKIはリスペクトしているし、大好きなアーティストだよ。

ここで話しているのは、選択の問題ね。

つまり、「要らない」ということなんだ。

必要なものは与えられている。

選択の結果が現在の環境、現実なのだとしたら、

現実に過不足は何一つ、ない。

お金について話す大前提として、

「与えられている」ことをまず、共有したいんだよ。

「ない」ことから出発しがちだからね。お金の話になると。

(つづく)