ドラッカーが指摘する、

意思決定に「異議」が必要な理由の第三は

「想像力を刺激するから」です。

Above all, disagreement is needed to stimulate the imagination.

One does not, to be sure, need imagination to find the right solution

to a problem. But then this is of value only in mathematics.

In all matters of true uncertainly such as the executive deals with — whether

his sphere is political, economic, social, or military — one needs “creative” solutions

which create a new situation. And this means that one needs imagination —

a new and different way of perceiving and understanding.

異議は想像力を刺激する。だから必要なのだ。

確かに、ある問題への正解を導きだすのに想像力は必要ない。

しかしそれは1+1=2といった数字の世界でのみ当てはまる話だ。

エグゼクティブが不確定な物事(政治であれ、経済であれ、社会であれ、

軍事であれ)に取り組み、新しい状況を創り出すには、なべて「創造的な」

解が必要なのである。

つまりこういうことだ。新しく、従来とは異なる認識と理解の方法が必要なのであり、

そのためには想像力が不可欠なのである。

The Effective Executive  p.152   阪本訳

うん。想像力、必要ですね。

ぼくはふと、丸山眞男(1914-1996)東大名誉教授の論文「『現実』主義の陥穽」

を思い出しました。1952年の論文です。

1979年頃読んで、そのまま所収された本(『現代政治の思想と行動』未来社)も紛失

し、忘れかけていたのですが、現在の日本の状況について考察を重ねるうち、

どうしても気になって、新装版を入手し、今日、ついさっき、再読しました。

やはり、ありました。気になるところが。長くなりますが、引用します。

講話論議の際も今度の再軍備問題のときも平和問題談話会のような考え方

に対していちばん頻繁に向けられる非難は、「現実的でない」という

言葉です。私はどうしてもこの際、私達日本人が通常に現実とか非現実とか

いう場合の「現実」というのはどういう構造をもっているかということをよく

つきとめて置く必要があると思うのです。

私の考えではそこにはほぼ三つの特徴が指摘出来るのではないかと思います。

第一には、現実の所与性ということです。

(中略) 現実とはこの国では端的に既成事実と等値されます。現実的たれと

いうことは、既成事実に屈服せよということにほかなりません。現実が所与性

と過去性においてだけ捉えられるとき、それは容易に諦観に転化します。

「現実だから仕方がない」というふうに、現実はいつも、「仕方のない」

過去なのです。

丸山教授は、つづけて、この「現実」観が、かつて(戦前戦時)

・ファシズムに対する抵抗力を内側から崩して行った

・「国体」という現実

・軍部という現実

・統帥権という現実

・満州国という現実

・国際連盟脱退という現実

・日華事変という現実

・日独伊軍事連盟という現実

・大政翼賛会という現実

そして最後には

・太平洋戦争という現実

それらが一つ一つ動きのとれない所与性として私達の観念にのしかかり、

「私達の自由なイマジネーションと行動を圧殺して行ったのはついこの間の

こと」

と指摘しています(*)。

*丸山眞男、「現実」主義の陥穽、『現代政治の思想と行動』所収論文、p.172-173

丸山教授の指摘はまだ続くのですが、今日はここまでにしましょう。

「想像力」を失った、あるいは、想像力を封印してしまうような「現実主義」が

大きな勢力となった時、人は自由な思考を奪われ、「大きな声の人」の意のままに

なってしまう危険性をはらんでいる。

いまが、だんだんそうなりつつある、そんな気がします。

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