丸山眞男教授の論文「『現実』主義の陥穽」の続きを。

社会的現実は複雑な様相を呈しているにもかかわらず、

現実の多元的構造は「現実を直視せよ」とか「現実的地盤に立て」と

かの言葉のもとに叱咤される場合、たいていは単純化され現実の

一つの側面だけが強調される。

再び前の例に戻れば、当時、自由主義や民主主義を唱え、英米との協調を

説き、労働組合の産報化に反対し、反戦運動を起す、等々の動向は一様に

「非現実的」の烙印を押され、ついで反国家的と断ぜられました。いいかえれば

ファッショ化に沿う方向だけが「現実的」と見られ、いやしくもそれに逆らう

方向は非現実的と考えられたわけです。

(中略)

また事実、戦時中のように新聞・ラジオなどのマス・コミュニケーションの機関が

多面的な現実のなかから一つの面だけを唯一の「現実」であるかのように報道しつづけ

ている場合には、国民は目隠しされた馬車馬のように一すじの「現実」しか視界に

入って来ませんから、そうした局面の露わな転換が多くの「突然変異」に映ずるのも

無理はないでしょう。

丸山眞男、「『現実』主義の陥穽」、『現代政治の思想と行動』所収、p.173-174

 

やはりここで問題になるのは「議論」がなされないことです。

異論が許されないことです。

ドラッカーは、うまい表現をしています。

Unless we turn the “tap”, imagination will not flow. The tap is argued, disciplined

disagreement.

(水道の)蛇口をひねらないことには想像力は湧き出てこない。蛇口とは、

議論であり、原理原則をもとにした異議のことだ。

The Effective Executive, p.153

正しい意思決定のために必要なのは異議や異論であり、そのためのprinciple(原理原則)

を持った上での議論が健康的な成果を生み出すのです。