今日は「講師」連載をちょっとお休みして、月・火と行っていた福井での話を。
福井商工会議所のお招きで実現した福井セミナー、福井放送、日刊県民福井新聞、
などのメディアも取材に来てくれていて、参加者71名、おかげさまで盛況だった。
県民新聞18日付に記事も出ていて、誇らしかった。

今回のセミナーが実現した背景には地元の老舗・米五(こめご)さん(→クリック!)
のご尽力がある。

昨年10月、共感セミナーの日本でのこけら落とし、東京会場に米五さんの
多田社長夫人(→)にお越し戴き、「福井でも是非!」となったものだ。
ありがたいことです(感謝!)。
多田社長(→)とは数年前、福井でブランドセミナーをやった時以来知遇を得、
永平寺見学などにおつきあい戴いた経緯がある。米五さんは永平寺に
出入りを許されている唯一の味噌屋。

noren

多田社長はネットに造詣が深い。

tadasan
ウェブサイト開設は1996年5月のこと(パソコン通信)。
インターネット上開設は1997年6月。それこそ、ネットショップのあけぼのの
頃から関わっておられる。
メルマガもまぐまぐ創設の頃に発行している。1998年10月だから、
ぼくがまぐまぐで始めたのとほぼ同じ時期だ。
このあたりの歴史は非常に勉強になるので、ここ(→)をご参照ください。

「登録者が200人くらいの時は読者と直接やりとりをして、楽しかった。
当時の人とはプライベートな年賀状を交わす仲で、子どもさんが生まれたら
知らせてくださったりして、お客さんというより、旧友ですね」

この気持ち、ぼくもよくわかる。メールマガジンSurfin’をニフティサーブ
で発刊した1995年の頃のほうが、読者とのやりとりが体温まで感じられて、
楽しかったもんなあ。

米五さんは1660年頃、江戸時代が始まって60年経った頃から商売をやっていて、
当時は米屋だった。当主名が代々「五右衛門」なので、「米五」という屋号になった
のだそうな。
当時、米は通貨の代わりだったので(ほら、よくいうでしょ? 加賀百万石とか。
『石』は米の単位で、藩の財力を示すものです)、米屋は貨幣流通をマネジメント
しているのと同じだから、その機能を現代風にとらえるなら、銀行だね。
時は流れて幕末、天保2年というから1831年、味噌・醤油の製造を
始めた。よって、味噌屋としての歴史はこの年から。同年、高島屋が、
前年の1830年にはなだ万が創業している。つまり老舗なのだが、
「先駆ける挑戦心」(米五会社案内パンフレットから)を大切に、
常に新しいことに取り組んできた。ネットへの取り組みもその一つだし、
新商品開発も会社のカルチャーになっている。

5年前、リアル店舗を工場隣に開店した。その動機が面白い。
リアルな店舗が行き詰ったからネットへ行った、というのではなく、
ネットで顧客と直接やりとりし、
「おいしかったよ、ありがとう!」
というような「顧客の生の声」に触れる喜びを感じ、より直接お客様と
接したい、近くなりたい、という思いから、リアル店舗を作ったのだ。
味噌屋はその業態から、業務用などのB2Bが多い。ネットのおかげで
B2Cが充実し、そしてリアル店舗へと「発展」していったのだ。

明るい店内

明るい店内

顧客としても、「メーカーに直接買いに行く」というのは敷居が高い。
そもそも売ってくれるのかどうかわからない上、少量なんて買えないのでは、
とつい思ってしまう(実際は量り売りもしてくれる)。

味噌の量り売りをしてくれます。味見も自由なので、楽しいよ!

味噌の量り売りをしてくれます。味見も自由なので、楽しいよ!

昨年はJAL国際線エグゼクティブクラスの帰国便全便の和食の味噌汁に
採用された由。

多田社長は常に新しいことに挑戦しようといろんな「ネタ」を求めている。
年齢はぼくより一つ上だが、同じ世代として、ひきつづき、目が離せない
チャレンジャーだ。

若手社員が開発した大ヒット商品カレー味噌(既に1万個販売!)

若手社員が開発した大ヒット商品カレー味噌(既に1万個販売!)

社内会議は全員iPadを持って、クラウドで同じ「書類」を見ながらやりたい
という。ペーパーレスだ。iPadもiPhoneもTwitterもFacebookも特別なもの
ではなく、まるで息を吸って吐くような自然な感じで使いこなしている。
ベテラン経営者がデジタルネイティブ並みのスキルを基礎体力として身につけた
らまさに「鬼に金棒」「ポパイにほうれんそう」、こんなに経営がうまくいくよ、
という良い模範だ。

もちろん、その根底には、多田社長の「常に新しいことをするから老舗である」
というゆるぎない経営哲学があってのこと。素晴らしいね!