いよいよ始めます。
「あなたも講師になれる!」
特にシナリオを作成せず、そのときどきの問題意識や現実に起こっている
出来事を取り入れながら、アトランダムに書いていこうと思います。
将来、現実の講義や書籍にまとめるときに、体系立てるということで。
なお、これまでのような日常を書いた日記も時々はさみます。
現在企画中の新ブログでは、タグを分けますが、とりあえず今はこの、
「ごった煮」スタイルでいきますね。では、開始!

CHAP1 あり方(being)を磨く

「何がいいたいのかわからない」
「足を組んで話をするなんて、マナーがなってない」
「つまらん内容だったが、3000円ならこんなものか」
「話があちこちにいって、収拾がついていない」

これは1996年11月、グロービス大阪校でぼくがやった
マーケティング・セミナーへの参加者アンケートに実際に
書かれていたコメントだ。

当時ぼくは旭化成に勤務していたが、週末はグロービスで
消費財マーケティングを教えていた。他にTPL(テクノロジー・
パワード・リーダーシップ)も教えていた。
グロービスでは定期的に外部から講師を招いてオープンセミナーを
やっていた。ぼくのセミナーはその一つだ。

手書きでOHP(オーバー・ヘッド・プロジェクター)用スライドを作成、
音もマーケティングの重要なツールだということや、
当時流行していたポケモンなども分析した覚えがある。

いまから振り返れば、確かに内容は散漫だった。稚拙な部分もあった。
しかし、おそらくオーディエンスの不興を買った一番の原因は、
ぼく自身のあり方(being)が中途半端だったことだと思う。
さっきも言ったように、ぼくは副業でグロービスの教壇に立っていた。
旭化成の社員でもないし、といって、一本どっこで立っているセミナー
講師でもない。要するに「いいとこどり」の男だったわけだ。
オーディエンスはそんなことは知らない。
しかし、知らないことと感じることは別なのである。
確実に、感じ取っていたのだ。そして、楽しめなかった。

人のあり方は、立ったときの雰囲気に出る。
もっと言うと、声ににじみ出る。

この観点からいうとテレビの旅番組は危険だ。
タレントや俳優の「素」のあり方がそのまま画面に出てしまう。
だから、あり方の素敵な人の場合ファンはもっとファンになる。
しかし、残念ながら、そのようなケースは極めて少なく、
「この人、こんなんだったんだ・・・」と失望してしまうことの
ほうが多い。おそらくこれは旅番組の成り立ちにあるのだろう。

俳優、歌手、お笑いタレントといった「本業」から離れて今日は旅に
出てみました

という設定で番組が構成されるから、そもそもの前提が「副業」
なんだものね。

「講師」として人の前に立つ。
その時、オーディエンスは何を見ているかというと、

あなたのあり方

を見ている。
つまり、

何を言うか
どう言うか

以前の話なのである。

休みの日、チャンネルリモコンをザッピングしていて
ふと落語をやっていたりすると、好きなものでついそのまま見ている
ことがある。

「これ『千両みかん』だね」とか「『芝浜』か」とまず、根多(演目)を
考えてしまうが、その次に気になるのは落語家のたたずまい。

名人と言われる落語家はみんな、動いていなくて、ただ座っているだけで
「絵」になった。
CDの声を聞いているだけで、なごんでくる。
その代表格が古今亭志ん生師匠だろう。

存在そのものが芸だった

存在そのものが芸だった

「人生そのものが落語だった」
と言われるように、
新婚一ヶ月後には、花嫁の嫁入り道具の着物、箪笥、果てはお琴の糸まで
が質草となって消えてしまったというからすさまじい。
かといって反省なんかしない。
奥さんのりんが内職でわずかでもお金を稼いでくるとそれを持って
出かけ、博打と女遊びに使ってしまう。
あるときなど、りんが内職で仕立てた他人の着物まで質入れした。
そんな師匠の落語だから、「あり方」が段違い。
貧乏の描写は「描写」ではなくなってくる。

講師としての腕は、内容や話し方よりも、まず、
「あり方」が重要だという話であります。
(つづく)