村上春樹が『The Great Gatsby』翻訳26ページにもわたる長いあとがきの

中で、既に翻訳のある本を自分があらためて訳す動機について語っている。

・自分にとってとても大切な作品で、三つあげろと言われたら間違いなく入る

・その中でもトップの作品(ちなみに他の二つは『カラマゾフの兄弟』と

『ロング・グッドバイ』(チャンドラー))

・翻訳には賞味期限がある。

そして、最後が ─ これがおそらく一番言いたかった理由なのだろうが ─

「これは僕の考える『グレート・ギャツビー』とはちょっと(あるいはかなり)

違う話みたいに思える」

もう一つ、旧訳がありながら『ウォールデン 森の生活』の新訳を出した今泉吉晴

氏の言もある。

森の生活にあこがれ、翻訳の文庫を手にとったはいいけれど、

「森の魅力を会得できず、ついに読めませんでした。私は、新訳が出る

たびに買って読みました。私ほど忠実な『森の生活』の読者は少なかった

でしょう。五、六冊にのぼりました。そのうち数十年が経ちました」

そして原書に出会い、読んでみると、

「一読して、訳本で読んだ、時代がかったようで時代不明な文章ではなく、

古ぼけてもおらず、曖昧でもなく、威張ってもおらず、達観した老人の書いた

文章でもありません。簡潔に言い切る、喜びにあふれた見事な記述とわかりました」

そこで今泉氏は自分で翻訳にとりかかる。

2年間の翻訳と、4年間の校正をかけて完成した小学館版『森の生活』は

みずみずしい魅力にあふれた、素晴らしい翻訳書として完成した。

さて、ドラッカー。

もちろん、上田先生の翻訳は素晴らしい。日本の経済界への上田先生の貢献は

大きい。

しかしながら、どうにも、原書で接するドラッカーは、「違う人」のような気がして

ならないのだ。

写真右、『The Practice of Management』の扉ページ、ぼくが読んで

刺激を受けて描いた図である。この図こそが『共感企業』全体のモチーフを

形成した社会経済エコシステムの図の原本だ。

それほどダイナミックな知的刺激にあふれているのである。

左が『非営利組織の経営』右が『現代の経営』

左が『非営利組織の経営』右が『現代の経営』

ドラッカーは文筆家だ。人を行動に駆り立てるための達意の文章を

書く。5回も6回も全体推敲する。その文筆家が、現在の日本に流通している

ような乾燥しきった文章を書くだろうか。

『もしドラ』著者 岩崎夏海さんの貢献は、ドラッカー本のもつ、「行動に

駆り立てる」パワーを最大限に引き出し、わかりやすい物語に仕上げたことに

ある。そして、さすが岩崎さん、ドラッカーが「真摯さというものは生まれつき

の資質であり、学ぶものではない」と言うときの真の意図について、読み取っている。

つまり、真摯さというものはすべての人が生来持っているものであり、発揮されていない

だけだという、いわばマネジャーに対するハッパだと解釈している(*)。

*『週刊ダイヤモンド みんなのドラッカー 2010/11/06号 p.66』

この視点こそが、現代日本でドラッカーを読むときに必要な「読み取り」

であって、「お勉強」「教科書」「百科事典」的な読み方をしては

もったいない。まして、あふれまくっているドラッカーブームあいのり解説本

など、志あるビジネスパースンが「それだけで済ませよう」としてはもったいない。

そこでぼくは3つの行動を取ろうと決めた。

第一に、来年早々から、「原書で読むドラッカー」ワークショップシリーズを

開始します。

第二に、不肖・阪本、ドラッカーの新訳に挑みます。

これにはいくつかの「筋を通すべき」ところがあると思うので、

それはきっちりやります。

第三に、「商人による、商人のためのドラッカー」を本にするのか、

コラムなのかわかりませんが、始めます。

この三つをやります。・・・と書いちゃえば、やらなきゃしょうがなくなる(笑)。