ネットがここまで生活の中に織り込まれていくと、
まさにもうネットが人体における血管のようなものになり、
自然、ビジネスが経済活動だけのものではなくなる。
なぜなら、ネットなる血管内を流れる血液は個としての
人間が発信する生の声だからである。
企業として「公式」に発信しているにせよ、
基本は個人の技がネットのネットたるところであり、
そこは正直なもので、望むと望まざるに関わらず等身大になる。
ウソやごまかしはすぐに見抜かれる。
つまり、社会的、人間的要素が濃くなり、社会や個としての人間を
無視できなくなる。
さらに、経済に由来する通貨即ちリアルな貨幣や株といったマーケット・キャピ
タルだけで成立するのではなく、ソーシャルな、ヒューマンな側面を満たすもの
としての対価のバリエーションが必要になった。そこでウッフィーのようなソー
シャル・キャピタルが生まれた。これはもう、歴史的必然と言っていい。

いま書いている「ビジネス2.0」本原稿から。

たった今、書いたばかり。

今日も執筆に疲れて、気分転換に近所のスタバまで歩いた。

歩きながら浮かんだフレーズが以下のものである。

すぐさまTwitterでツイートし、メモ代わりとした。

今度の本は、まさにTwitterさまさまだ。

Twitterで軽くフレーズをツイートしてみる。反応が良く、RTされると

「読者が興味を持ってくれるネタなんだな」とわかる。

反応がないと、「ちょっと工夫しなきゃな」と思う。

Twitterの仲間は、そういう意味で、今度の本の一番最初の読者なのだ。

みんな、ありがとう!

(原稿開始)

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ネットがここまで生活の中に織り込まれていくと、

まさにもうネットが人体における血管のようなものになり、

自然、ビジネスが経済活動だけのものではなくなる。

なぜなら、ネットなる血管内を流れる血液は個としての

人間が発信する生の声だからである。

企業として「公式」に発信しているにせよ、

基本は個人の技がネットのネットたるところであり、

そこは正直なもので、望むと望まざるに関わらず等身大になる。

ウソやごまかしはすぐに見抜かれる。

つまり、社会的、人間的要素が濃くなり、社会や個としての人間を

無視できなくなる。

さらに、経済に由来する通貨即ちリアルな貨幣や株といったマーケット・キャピ

タルだけで成立するのではなく、ソーシャルな、ヒューマンな側面を満たすもの

としての対価のバリエーションが必要になった。そこでウッフィーのようなソー

シャル・キャピタルが生まれた。これはもう、歴史的必然と言っていい。

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(原稿終了)