数ある今年やって楽しかったテーマの中で、今日大晦日も続いて考えているのは

デジタルワールドと人間

だ。

現在進行中オンライン講座『明日の経営』(2016/10-2017/3)のテーマでもある。

ぼくはこの講座、ICT(Information and Communication Technology)

の発達のおかげでこんな便利なことができる、これもできる、あれもできる!

と博覧会するつもりは毛頭なく、あくまで人間と経営について考える

ためのワサビとしてデジタルをとらえようとしている。

映画『あやしい彼女』(→クリック!)

漱石『明暗』

金原ひとみ『クラウドガール』(朝日新聞連載、12/30で終了)

とを同時進行で味わっていて、セレンディピティとしか思えないのだが、

テーマは同じと気づいた。

それは

人が人に求めるのは、自分と一緒にあなたと一つの基準を作り上げていきたい

という願いである。

『クラウドガール』(最終回)を引用する。

(引用開始)

例えば私がママの記憶の中に小説というアイコンを置いていなかったとしたら、

私のママ像というものは全く違う、例えばもう少し温かみに満ちたものに

なっていたのかもしれない。

(中略)

そもそも情報を取捨選択するということは、誤解や偏見込みでものを認識する

ということに他ならないのだから、そんな選択基準の差異に突っかかって何故

あなたはそういう人間なのかと議論することには意味がない。私たちは膨大な

データベースと共に生きていて、もはやそこから決定的な嘘も、決定的な真実も

捉えることはできない。文字、画像、映像、あらゆるデータを、無制限に保存でき

るようになった私たちは、それらがどれも加工修正可能な、不確かなものでしか

ないと思い知らされた。私たちにできるのは、どの情報を採用するかという選択

だけだ。

 でも光也とだったらどうだろう。私たちは、膨大なデータから何を引き出すか、

何を採用するか、一つ一つゆっくりと、二人で吟味することができるのではない

だろうか。何が正しく、何が間違っているか話し合い、二人にとって真実の基準を

作り上げていけるのではないだろうか。

(引用終了)

そしてこのあと、デジタル社会に生きるぼくたちにとってとても重要な文章が続く。

(引用開始)

そしてそれこそが、血の繋がりや性別、年齢や出自などよりも強固で必然的な

繋がりを作る要素になり得るのではないだろうか。

(引用終了)

『明暗』の津田と妻のお延は共通の「基準」を見い出せず、苦悩する。

「基準」とは、『クラウドガール』の表現を借りるなら、「アイコン」と言ってもいい。

津田とお延は何の共有アイコンをお互いの中に置けばいいのかわからないのだ。

これでいま思いついたが、ドラマ『逃げ恥』は、ひらまさとみくりの間に

「給与」というアイコンを置いている間はうまく行っていた。

しかし、本物の恋愛へと二人の仲が進展し、さて、結婚しましょうとなったとき、

ひらまさとみくりの間に共有アイコン設定がうまくいかず、

そこで最終回のぎくしゃくが生まれた。

映画『あやしい彼女』は母、娘、孫の間にいかなる共通のアイコンを置くか、

の物語としても読み取れる(もちろん、人生の楽しみ、という大テーマはある)。

愛というのはよくわからないものだが、他人同士が結婚して家族になっていく、

ということは、言い換えるなら、「共有アイコン」を見つけ、作り上げていく、

ということなのだろう。

2016年も今日で終わり。

みなさん、よいお年を!

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